<寺子屋いづみの思い>
一人ひとりに必ず輝く個性がある。 だから、いろいろな成長の仕方があっていい。
「それぞれの子どもがもって生まれたものを大切に育てる」 この理念のもと、
寺子屋いづみは約40年間1500人に及ぶ子どもたちと関わってきました。
理念に込めた思いや取り組みについて、寺子屋いづみ代表の岩岡いづみの話を通してご紹介します。
Chapter 1:
子どもの評価において、学校のものさしだけが正解じゃない・・・・
― 寺子屋には実に多様な子どもたちが通っていますね。
小学生から高校生まで50人前後の子どもたちが通っています。
進学校の受験を目指している子もいるし、学校の標準的なものさしから
大なり小なりはみ出している子たちもいます。
不登校、 学力不振、学習障がい、発達障がい、引きこもり、情緒不安定、
ゲーム依存などの課題に向き合っ ている子も結構います。
フリースクールを含めて、寺子屋いづみは個別指導が基本なので、
いろいろな子たちが、同じ部屋で一緒に学んでいます。多様性にはかなり富んでいますよ(笑)。
― 課題に向き合う子どもたちも積極的に受け入れているのは、設立以来なのですか。
私が寺子屋いづみを立ち上げたのが1983年で、
その少し前から校内暴力が各地の教育現場で問題になっていました。
学生だった私は、地域の当時で言う“不良少年”たちの
学習支援のボランティアに参加していたのですが、
よくよく話を聞いているうちに、彼らの多くが貧困や親御さんの
メンタルなどいろいろな事情を抱えているということがわかってきました。
別に暴れたくて暴れているわけではない、元々不良だったわけでもない、勉強もほんとうはしたい、
でも心のやり場のない自分たちを大人たちは理解しようとはしてくれない。
彼らの心を代弁するならそんな感じだったと思います。
でも、ボランティアに集まった地域の大人が根気よく向き合う中で、
彼らがだんだん変わっていく様子を間近で見て、学校とは違う視点で子どもたちを支える
人や場の必要性みたいなものをすごく考えるようになりました。
― その体験が寺子屋いづみにつながるのですか?
この体験もそうですし、学校に行けない地域の不良少年たちと向き合って
いろいろな活動をしていた大人たちの姿を見ながら社会人になって、
私なりにできることは何かと立ち上げたのが、寺子屋だったんです。
だからこの寺子屋はもともと進学塾としてではなくて、
学校に居場所を見つけられない子どもたちも学べる場として出発しています。
時代とともに子どもを取り巻く環境はずいぶん変わりましたが、
寺子屋いづみが目指す本質的な役割みたいなものは、今も変わっていないんです。
― 寺子屋いづみも学校とは違う視点で子どもに向き合おうとしたわけですか?
学校は、暗記が上手でテストで高い点を取る、計算が早い、なんでもそつなくこなす、
学校に休まず来る、遅刻しないなど、比較的わかりやすいことを測るものさしが優先されます。
多くの子どもを5段階とか、10段階に分けて評価しなくてはならないので、しょうがないですよね。
でも、画一的な評価では子どもの多面性が見えにくいのも確かですし、
それだけが正解というわけではないのです。寺子屋はもっといろいろな面に目を向けて、
一人ひとりのいいところを見つけ、育む場所にな りたいと40年間続けてきました。
学校ではあまり評価されなかったことでも、またそれが小さいことでも、
その子の輝く個性として発揮できるように手助けするのがここの役割で、向き合い方 だと思っています。
Chapter 2:
それぞれの子どもがもって生まれたものを大切にする
― 寺子屋いづみでは、学力を伸ばすことは重視しないのですか?
もちろん学力を伸ばすことも目指します。ただ、勉強がどうしても苦手な子もいますので、
それぞれに合った目標や伸ばし方を考えるようにしています。
学校の勉強がよくできることで広がる可能性もたくさんありますからね。
でも何よりも最優先 というわけではないですね。
― では何を最優先としているのですか?
私が大事だなあと思うのは、「社会に出てから人と関わり、助け合いながら生きていける力」 みたいなものです。
それがあれば多少勉強ができなくたって、人より苦手なことが多くたって、
その子は自分を肯定しながら、自分らしく生きていけるように思います。逆に勉強がよくできても、
人と一緒に生きていくために必要な感性というか感覚というか、そういうものがない子は、
意外に社会に出てから個性を発揮できないように思うんです。
究極的には、学校の成績より「人として愛される人間になる」ことの方が重要だし、
社会に出てからはずっと大切な能力なんじゃないのかなって。
寺子屋いづみが最優先で子どもたちに育んでほしいと思っているのは、実はそういうことなんです。
― 進学塾でも学習塾でもなくて、人間塾みたいな?
そうなれたらいいですね。とにかく寺子屋では、勉強はツールみたいな感じですかね。
学びの場は、切磋琢磨して、悩んで、自分が直面する問題を乗り越えようとする場。
そういう意味では、うちは進学塾ではもちろんないし、一般的な学習塾とも違いますね。
― とはいうものの、学校での成績・評価が持つ意味は、子どもにも親御さんにも大きいです。
確かにそうです。でも、学校の成績がその子の価値の全てを決めるわけではないです。
ただ、 学校の評価が良くないことから、「できない子」として周りから見られるようになると、
本人も 「自分はだめだ」と思うようになって、結果的にその子のよい面が
見過ごされやすくなっていくことは結構あることです。
学校以外にも自分の個性を発揮できる場所があるとわかれば救われるけど、
子どもにとっては 簡単ではありません。成績が悪いことよりも、
自己肯定感が傷ついていく状況の方が問題だと思 います。
― 学校の評価をどう捉えるか、ですね。
学校のものさしで測れるのは、その子のほんの一部分です。
学校で価値がないものは、家庭で も社会でも同じように価値がないというのは全く違います。
勉強が出来なかったら、学校に行か なかったら、その子に価値がないなんてことは
絶対にあるわけありません。その子の全体として見たら、可能性はいっぱいあるはずです。
得意なことや個性が発揮できる ところはみんな違っていいって思いませんか。
― 学校の成績がどうであれ、どんな子だって輝けるし、成長できるものでしょうか?
そう思います。学校では劣等生かもしれないけど、一歩学校の外に出ると、料理が上手だとか、
みんなで何かしようとしたときに段取りがうまいとか、何かについてとても詳しいとか、
人の気持ちを思いやれるとか、何か個性として輝くものが必ずあります。
もしかしたら、学校や親御さんが理想とする成長とは少し違うことがあるかもしれませんが、
それぞれの良さを見つけて、認めてあげる。そうすると不思議なことに、
子どもって自然にやる気が出てきて、勉強も一生懸命するようになったり、
自分の得意なことをもっと伸ばそうとしたり、抱えていた問題が少しずつ解決し始めてくることが多いんです。
逆に言うと、その子らしさを理解しようとせず、頭ごなしに勉強しろ、学校に行けと言っても
あんまり問題は解決しないことの方が私の経験では多い気がします。
― そういう向き合い方、考え方が、寺子屋いづみの理念
「それぞれの子どもがもって生まれた ものを大切にする」ということなんですね。
これまで関わってきた子どもたちはもう1500人くらいになりました。
学校や家庭でとにかく問題児と言われた子もたくさんいましたが、
たいていは学校での挫折、家庭の問題など何かのきっ かけでマイナスの面ばかり出る流れになって、
自分も家族ももうどうしたらいいのかわらからなくなってるだけなんです。
別によいところが失われてしまったわけではありませんでした。
誰かと比べてどうかではなく、寺子屋いづみでは、一人ひとりの子どものいいところを見つけて大切にして、
その子のエネルギーが一番いい形で発揮できるように、一緒に歩いたり、走ったり、
時に立ち止まったりする。伴走者みたいな役割を果たせたらと思っています。
Chapter 3:
個性にあわせて、いろいろな成長があっていい
― “伴走者みたいに”という表現がありましたが、実際にはどんな感じなんですか?
寺子屋いづみでは、教室の中で学ぶ以外に夏季キャンプなどもあるんですが、
基本的に時間を 共にしている間は、一緒に生活している気持ちでいます。
そういう過ごし方を通して、一人ひとりの個性も、長所・短所も見えてくる気がします。
子どもたちの方も、私やスタッフ、あるいは他の子たちの飾り立てのない素の姿を見ながら、
自分の良さや直さないといけない点に気づく機会にもなっているようです。
― 教室の様子を見ると、スタッフ全員、子どもたちに対して結構厳しいですよね。
厳しくすべきところについての認識は、スタッフ全員共通しています。
特に挨拶ができない、 人としてのふるまいがなってない、
他人に思いやりのない言動をするなどについては、かなり厳しく言います。
先ほどもお話した通り、社会に出て人と関わって、助け合って生きていける人間になって、
自分の描く未来を実現してほしいから、寺子屋いづみでは、ここのところはとても大事なんです。
でもドリルの問題が出来なかったと言って、叱りつけたりはしません。
その辺はやっぱり学習塾じゃないですよね(笑)。
ただ、本人が決めた目標を達成できたかどうかはしっかり見ます。
― 学校のものさしは多面性の評価に限界があるとすれば、
寺子屋ではどんな風に子どもたちを 評価しているのですか?
基本的には「その子の基準で考える」です。100のうち10までしか伸びない子がいても、
それがその子のがんばりの結果なら、とても大きくて大事な10です。
その中でもっとできること、その子なりに得意なこと、あるいは
出来ないことをみつけていったらいいと思っています。
人それぞれ、個性に合わせていろいろな成長の仕方があっていいんです。
― 他に子どもたちと向き合うときに心がけていることはありますか?
重複するかもしれませんが、
「受け入れること」「話を聴くこと」「すべき指導はすること」 は三本柱ですね。
加えて、その子の個性を認め、できたことをほめる。
少しでも変わってきたら「変わったね」、「ここがよくなったね」って言葉に出して言います。
とにかく受け入ることが先決と判断したときは、泣き言も愚痴も弱音も受け入れますが、
もう大丈夫と思ったら遠慮なくしっかり背中を押します。
子どもは本来強くて柔軟です。その子の存在を認め、居場所を見つけるところまで手伝えば、
その後はおのずと個性を発揮する力が出てくるものです。
Chapter 4:
子どもの成長に関わることは親御さんと関わること
― 親御さんからの相談を受けることも多いのですか。
多いです。子どもの問題に一番悩むのは親御さんです
。例えば学校から問題があると言われた としたら当然悩み、どうにか解決しようとします。
解決の糸口が見つからないと、誰だって行き 詰ってしまいますよね。
でも問題ばかり見てしまうと、だんだん子どもの良いところが見えにくくなっていきます。
そういう空気では、子どもも良さを発揮するエネルギーがわきませんし、
発揮していても親が気づけない悪循環に陥ってしまいます。
意外に多くの親御さんが、相談する先もなかったり、学校や行政機関に行っても
なかなか本質的な相談ができなかったりして、抱え込んでしまっているんです。
― 親御さんからの相談は寺子屋いづみで解決していくのですか。
子どもの問題に関わっていくと、結構親御さんの問題に突き当たることが多いです。
それは、 経済的なことだったり、親御さん自身が精神的な問題を抱えていたり、
高学歴家族のプレッシャー に振り回されていたり、いろいろです。
寺子屋いづみで取り組めるものもあるし、行政の支援に つなげることもあります。
今、地域の学校の校長先生が寺子屋に来てくれることもありますし、
世田谷区の教育委員会と もお話できる関係性ができています。
社会福祉協議会や教育相談室など、支援を提供する機関との協力や協働のつながりもあります。
結構多種多様な支援があって、寺子屋にはありがたいことに情報が集まります。
窓口になって、親御さんの話を聞き、家庭のご事情をしっかり理解した上で、
必要な支援につなげるサポートも しています。
― 親御さんの問題の解決は、子どもの成長にもやっぱり大事なのですか。
すごく大事だと思います。親御さんが深い悩みや問題を抱えていれば、
余裕をもって子どもを 見守れない場合が多いように思います。
人って悩みを持っているときは、自分の尺度でしか物事を見ることができません。
でも親の見方が変わると、子どもの姿の見え方も変わります。私たちがどんなにがんばって
子どもの問題に関わっても、結局は親御さんの協力や関わりが不可欠なんです。
不登校だろうが、発達障がいだろうが、どんなことがあっても親が一生その子と関わる、
一緒に生きていく覚悟を持てることが、子ども自身が問題を乗り越える上ですごく大切だと思います。
― 子育てで悩んでいる親御さんに声をかけるとしたらどんなメッセージを伝えたいですか?
「自分一人ではない」ってことですかね。
子育ての問題を家庭の中だけで解決しようとがんばる必要なんてありません。
逆に子どもの成 長に家族以外の人が関わることの意味も大きいですし、
子どもが問題を抱えているときには、他人だからいいというときもあるんです。
今は、子どもたちがいろんな生き方を選べる時代になってきました。
その子の持っているものの、今まで見えていなかったものを一緒に探すお手伝いなら、
私たちもできます。最後の最後ま で、伴走者として寄り添っていく自負はあります。
― 悩んだら抱え込まず助けを求めたらいいと?
「一人の子どもを育てるには100人の村人が必要」という言葉があるんですよ。
子どもという のは、いろんな人に助けられて育ち、
いろんな人の知恵に学んで成長していくってことなんだと私は理解しています。
今は地域のつながりも薄くなって、誰に助けを求めたらいいかわからないかもしれません。
これまでどこかに相談に行ったけど解決しなかったことがあったかもしれません。
でも行政にもいろいろな窓口があります。寺子屋いづみもあります。
人の手を借りて取り組んだらいいと思いま す。100人の村人に頼ったらいいのです。
Chapter 5:
コミュニティがつながり「子どもを地域で育て、見守る」
― 寺子屋いづみでは、子ども食堂も開いていますね。
子ども食堂を開いた一つの目的は、やはり子どもの食育です。
世田谷区は比較的貧困世帯が少ない地域ですが、それでも個食や偏食などの問題はあります。
コンビニでいつでもどこでもお弁 当が買える時代ですが、食べるもの、食べ方、囲み方など、
問題を抱える子どもの背景に家庭で の食の問題が結構あることを経験上感じています。
寺子屋の子ども食堂にも、夕方まで仕事をしたお母さんが保育園で子どもを迎えに行った足で来てくれたり、
家族みんなで来てくれたり、子どもたちだけで来てくれたり、いろいろです。
豪華なメニューを出しているわけでもないのですが、みなさんいいお顔をして食べてくれます。
「ここに来ると子どもが嫌いな野菜を何も言わずに食べる」という話もよく聞きます。
親でなくても、誰かが心を込めて手作りした食事というのは、
不思議に人に力を与えて、人生 を豊かにしてくれるものですよね。
― 子ども食堂には、もう一つ大事なミッションがあるとか。
はい。子育てなどいろいろな悩みを抱えた方が声をあげられる場所になりたいと思っているんです。
寺子屋にいきなり相談には行きにくいと思っても、子ども食堂に来て、ごはんを食べて世間話をしながらなら、
悩みを話すきっかけを見つけていただきやすいのではないかと思うのです。
こちらからも、前回よりお元気がないなと思ったらお声をかけたり。
それも「食」があると、垣根が低くなるからできることです。
悩みを100%解決する策や支援はないかもしれませんが、
寺子屋に集まる情報やつなげられる支援でいくらかは前に進める可能性もあります。
まず様子だけ見に行ってみようと思う方も利用いただきたいです。
― 子ども食堂の他にも、カフェやおにぎり弁当などの活動もしていますね。
新型コロナウイルス感染症で外出自粛が求められていた時、子育てと在宅仕事で
毎日の食事に苦労するというお母さんの声を聞き、始まったのがおにぎり弁当です。
大人が対象のカフェは、悩みを吐き出したり、共感できたりするだけで楽にもなるし、
何か解 決策が見つかることもあると開いたものです。
それぞれが抱える問題が特殊なものではなく、同じような経験をしている人がいることや、
社会環境の変化による避けがたいものであることなど、 何
よりも共感してくれる人がいることを知る場所になっています。
みんなここへ来ると不思議な ことに中々口に出せなかったことを話せるんですよ。
問題だと思っていたことが、他の人と話す ことによって、
閉じる方向が開く方向に動いていく。それが醍醐味です。
― 学習塾と子ども食堂、カフェ、おにぎり弁当はつながっているんですね。
子ども食堂、カフェ、おにぎり弁当だけではなく、
寺子屋いづみは地域の方々のいろいろな活 動の場になりつつあります。
どの活動にも、地域の役に立ちたいという思いを持つ多くのボランティアさんが関わってくれ ています。
そのお一人は、私が学生時代に参加した学習ボランティアのリーダー的存在で、
私が とても影響された方です。あれから40年、歳もそれなりに重ねられ、
多少パワーも控えめになる かと思いきや、地域の子どもたちを思う熱意は全く衰えず(笑)、
週に何日も子どもたちのため にと通ってきてくれています。
地域で子どもを育てて、見守る。昔はとても普通にあったことです。
今、人や情報が集まって、 寺子屋いづみから広がっているいろいろな活動が、
そういうものになっていってほしいと思っています。
インタビューはここまでです。
ここからは、実際にいづみ先生とかかわってきた
卒業生の方々からのメッセージをお送りいたします。
<卒業生たちの声>
1500通りの成長。 人と人として互いに向き合ったそれぞれの輝く個性。
寺子屋いづみがこれまで関わった子どもたちは約1500人。
ここでどんなことを学び、体験したのか。
・寺子屋いづみで学んだ日々の中で一番心に残っていることは?
・寺子屋いづみに通ってよかったと思うことは?
・自分が成長できたきっかけは? という3つのテーマで、卒業生たちに聞いてみました。
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自分で決めたことをやり通したMさん。年齢に関係なく人は自分の目標に向かって
乗り越えていくパワーを出していけると、みんなに見せてくれました。
成長期のMさんがこれからも目標を悩 みながら見つけ、一歩一歩成長していく様子を楽しみにしています!
Real story 1(NMさん):辛いときや乗り越えて
前に進まないといけないときは、必ず寺子屋でのことを思い出す
一番心に残っていること
寺子屋へは中学受験のため小5の夏に入会しました。
それまでの通っていた塾とは違い、教室には学年の異なる体の大きなお兄さんやお姉さんがいました。
毎日、教科書2冊分ぐらいの厚さの問題集で勉強したり、テスト問題を解いていたりと
小学生の私にとってお兄さん、お姉さん方の受験や勉強に対する姿勢に
「このくらいやらないといけないんだ」「頑張らなくてはいけないんだ」と圧倒されたのを覚えています。
学年や目標が異なるお兄さんやお姉さんの一生懸命な背中を見て、
自分も勉強を続けていくことができたのだと思います。
通ってよかったと思うこと
「努力は結果を裏切らない」ということを寺子屋で学びました。
私は寺子屋に通った2年間が「勉強」とは何かを一番考えさせられたと思います。
学校が終わって夕方の5時から9時まで毎日寺子屋で勉強していました。
当時はなぜ自分が受験しようと 思ったのか。
なぜ自分だけこんなにも勉強しなければいけないのかと思うこともありました。
私は不得意なことにあたると思考がとまり、すべてが嫌になる傾向がありました。
その度に先生から注意されますが、わかっていてもなかなか定着しないのが悩みでした。
わからない悔しさと、どうしたらいいのかわからない現実と、
もう頭の中はグチャグチャして泣きながら教室で問 題を解いたこともたくさんありました。
しかし、先生方が粘り強く、そして最後まで向き合ってくださり私を導いてくださいました。
また、日々の積み重ねの重要性を教えてくださいました。
こんな私を絶対に見捨てたりしませんでした。おかげで無事に志望校にも合格する事ができました。
あの時に嫌でも勉強したからこそ今があり「努力」の成果を身をもって知ることができ自信となっています。
自分が成長できたきっかけまだまだ私は成長の途中です。
春に高3になります。進路選択を様々な場面で迫られています。
友人達は進路がとても明確です。残念ながら今の私には将来の夢が曖昧で進路選択に悩む日々です。
私は焦りを感じ、ダメな自分に苛立つ日々でした。
そんな中、ふと中学受験前の最後の授業でいづみ先生が
「自分を信じて!」と送り出してくださった言葉を思い出しました。
とても肩が軽くなりました。私はわたし。人と比べるのではなく
「これ!」というものに必ず出会えるはずと焦りや不安から解放されました。
寺子屋での濃い2年間は今の私の礎となっています。
辛かったり、乗り越えて前に進まないといけない時は必ず寺子屋での事を思い出します。
先生方からの私を思っての言葉が私を強くし成 長させてくれています。
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淡々と静かに自分の思いを行動に移していく強さをMさんから教えてもらいました。
環境によっ て人は基礎力を蓄え、そこから自分の色を加え
その人らしさを構築していくことを見せてもらいました。
ますますたくましく海外で成長するのを楽しみにしています!
Real story 2(IMさん): もう一つの家族のような、先生らしくない先生
一番心に残っていること
中学3年生のとき、高校受験に向けて毎日通って勉強して、疲れたなぁ、
なんでこんなに勉強しなきゃいけないのかなと思うことが多くありました。
その秋頃、授業中に1人の先生から「横着しない!」と注意されたことをずっと覚えています。
なぜそう注意を受けたかの肝心な経緯は覚えていないのですが、きっと怠けていたのでしょう。
当時は「横着」という言葉を知らず、どういう意味だ???と首を傾げたところ、
先生から意味を教えてもらいました。普通に「しっかりしなさい!」と言われることはありましたが、
「怠けている」と今の自分の状態をはっきり指摘されたことに対して、かなりどきっとしました。
それ以降、気を引き締めなきゃと自分で意識することが多くなりました。
大学1年~4年まで、スタッフとして寺子屋に戻っていました。勉強を教えることは初めてでしたし、
解き方を忘れていたこともあったので最初は不安がありましたが、
まず目の前の子の様子をしっかり把握するよう心がけていました。
その後、慣れてきた頃は目の前にいる子だけでなく周りを見て、この子とあの子は仲がいいんだなぁ、
こういう感じで取り組むのかぁと、一人ひとりの個性を把握することを心がけました。
生徒さんと話しているなかで相談にのることが多くありました。
趣味や習い事、学校、友達、 家族、将来などなどたくさんいろんなことを相談してくれたり、話してくれました。
もちろん中 には、それはダメでしょといった悪いこともあるので、全てがいい思い出というわけではないのですが、
私の中ではとっても心に残っています。私がスタッフとして生徒さんの
心のよりどころになっていてくれたならとても嬉しいです。
通ってよかったと思うこと
● 1つの教室に先生が1人ではないところ
状況が異なる時もあると思いますが、近いところに必ず先生が1人いて、質問がしやすい環境でした。
自分から聞きにくくても先生から気づいてくれたり、声をかけてもらえました。
● テスト前の集中週間
定期テスト前や受験期は毎日通います。子どもの頃は自分ではどうしてもやる気になれなかったので
毎日勉強をする環境を作っていただけたことは、今思うととてもありがたかったです。
他の子もいて教室がいっぱいの中で集中するのも自分を追い込むことができた1つのきっかけだったと思います。
● 先生が先生らしくないところ
これは語弊を招く言い方ですが、私にとってもう1人のお母さんやお父さん、お姉さん、お兄さんみたいな感覚です。
私が長く通っていたことも関係しているかもしれませんが、常に先生が近くにいて、
家族や友だちに言いづらいことや些細なことでも聞いてくれました。
申しわけないのですが、本当にいい意味でおせっかいという言葉があてはまってしまいます。
そこまで深く「先生」と呼ぶ人に今まで出会ったことがありませんでした。
先生と生徒の関係で勉強をするだけでなく、時にはもう一つの家族のように
話をして励ましてくれたり、慰めてくれたりしてくれました。
子どもからの言いたい気持ちに気づいてくれる、共感してくれる先生に恵まれたなぁと感じます。
自分が成長できたきっかけ 受験期に叱咤激励をたくさんしてもらったことと、
スタッフとしてまた寺子屋に関わることができたことです。
教えられる立場から教える立場になったときに、大人としての自覚が芽生えたのはもちろん、
子どもならではの感じ方もあって、子どもから学ぶこともありました。
教室でしか顔を合わせませんが、それだけで生徒さんからたくさんパワーをもらい、
そのもらったパワーで生徒さんを支えて、
テストの結果や日々の努力をみて、お互いに成長できたなぁと感じていました。
それぞれの進路の中には、夢に向かって親元を離れる決断をする生徒さんもいました。
私が同じ年齢だったころにそのような決断は出来なかったと思います。
時には弱気になっていたことももちろんありましたが、
夢に向かって勉強を頑張る姿は「意地でも行ってやる!!」といった表情でした。
無事に進路が決まった時はとても誇らしく頼もしい姿で、
一緒に過ごした日々はなん にも無駄ではなかったんだなと実感しました。
私は大学卒業と同時にワーキングホリデービザを使い、オーストラリアのシドニーへ留学をしました。
語学学校に通いながら、初めて飲食店での勤務、シェアハウスでの家事や自炊。
一人暮 らしをしたことがなかったので全てが初めて尽くしで、
今までどんなに家族に支えてもらっていたかとっても身に染みました。
物価の違いから今までのようではいけないと思って節約したら痩せてしまったり、
英語が上手く話せないことで適当にあしらわれたり、うまくいかないなぁと
ホームシックになることも多々 ありました。そのような時は、
せっかくシドニーに来たんだから何がなんでもやってやろうと自分で奮い立たせて、
勤務中はずっと笑顔でチップをたくさんもらおうとしたり、
学校行事には予定が合うかぎり参加して友だちを増やしました。
子どもの頃は大人が環境を作ってくれましたが、今は自分で作らなければいけません。
最初のころは無理してでも自分自身でその波に乗ろうと必死にもがきました。
結果的には全てをやるのは大変でしたし、中身がないようなことだったり、
薄い関係で遊ぶのも時間がもったいないような気がして本当にやりたいことだけに絞って生活するようになりました。
昨年ワーキングホリデービザが終わるタイミングで一時帰国をしようと考えていましたが、
新型コロナが発生し、オーストラリアは国境をすぐに閉鎖しました。
日本への帰国便はあるのですがオーストラリアへの入国が許可されていません。
私はオーストラリアでの生活を続けたいと思っていましたので、
一時帰国を諦め、学生ビザに切り替えて滞在することを決めました。
今、シド ニーでの生活も丸2年になろうとしています。 まだまだ勉強の日々ですが、
寺子屋で鍛えた忍耐力や追い込む力はとっても役に立っていると 実感します。
そして、いづみ先生からときどき連絡をいただき、
いろんな方との交流を通じた繋がりがホームシックを紛らわせてくれています。
帰国するころには何10倍にもさらに成長して先生方が喜んでくれるようになりたいと思います。
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Yさんの人生から後輩たちがたくさん勇気をもらっています。困難があってもそのことを抱えな がら、
まさに七転び八起きの人生そのものをYさんは見せてくれます。
今では私たちにたくさん のアドバイスを送ってくれます。これからも人生の同士としてよろしくお願いいたします。
Real story 3(TYさん): 身近に愛情深い大人が
何人もいてくれたことが寂しかった学生時代の支え
一番心に残っていること私は、寺子屋いづみに中1の秋から高2の冬まで通いました。
その後も当時の仲間や先生方と はことあるごとに顔を合わせ、もう本当に家族のような関係です。
実は、私はいづみさんの家に居候させてもらった時期もあります。
私は10歳で母を亡くし、 その後は父、兄と暮らしていた中で、
歯車が噛み合わない家族の関係に疲れ、重い精神病になりました。病気が発覚する直前、
私はいづみさんに会いに行った日に心身衰弱して、教室で倒れて 先生方に介抱されました。
その時にいづみさんの旦那さんの英樹さんといづみさんが私を預かる決断をしてくれて、
私は そのまま3ヶ月岩岡家でお世話になりました。
その間、仕事と家事で大変なのに、時間を作っては私の病院に付き添ってくれたので、
適切な治療を受けることができ、自分の病気の重さを受け 入れる下準備ができました。
その後一人暮らしを始めてからも寺子屋の近くに家を借り、
何かあればすぐ先生方に相談できる環境で、安心してリハビリに通い、
主治医も驚くほど元気になりました。 今は東京を離れて、父の故郷である鳥取に生活の拠点を移しています。
一度結婚してすぐ離婚しましたが、その後出会った今の主人との間に長女、次女と授かり、幸せに暮らしています。
通ってよかったと思うこと 私が寺子屋に通って一番よかったと思う点は、
身内に本音が話せない環境にいたので、中学の時からなんでも私の話を聞いてくれた
寺子屋の先生方の存在はとてもありがたく、その先生も心 の温かい人ばかりだったと、
寺子屋を離れてからよく懐かしくなります。
その中で私の考え方が人の道からそれていたり、筋が通ってないと、とことんぶつかって
考えを改めさせようとしてくれたり、諭してくれた先生方。
寺子屋にはいつも愛を持った先生方がい てくれた。
身近にそんな愛情深い大人が何人もいてくれたことが寂しかった学生時代私の支えになっていました。
そして、そんな先生方が集まるのは代表であるいづみさん自身がとても愛ある人だからだと思います。
自分が成長できたきっかけ 英樹さんといづみさんは、私が寺子屋で倒れてから何回も私の父と話し合ってくれ、
その度に父が私のことを思っていることを私に伝えくれました。
自分の辛さから相手を思いやる気持ちを忘れ、自分本位に生きていた私にとって、
その父の思いを知ることは、人を思う気持ちを思い出 させてくれるきっかけになりました。
今でも相手を思う気持ちは他の人に比べたら少ないのかも、愛がないのかな?と思うこともありますが、
それでも身近にいる主人を思い、子を思い、そして出会った人を大切にしたいという
私の心の指針みたいなものになっています。 私が寺子屋に出会ってもう23年。私が通っていた頃は、
英樹さんといづみさん夫婦がメインで 教えていたので家庭的な感じでした。
でも年月が経ち、今は、子どもたちと社会、地域を繋ぐ要 としての存在に変化してきているのだと思います。
でも「子どものために」という根本は全く変 わらず走り続けています。
だからこれからもブレることなく、きっと走り続けるだろう寺子屋いづみといづみ先生をずっと応援しています。